社殿に掲げられた額
(古墳時代の戸塚の豪族で神社後方の古墳に鎮められている。)
平安時代、奥州「前九年の役」平定のために、源頼義、義家親子が奥州に下る途中、当地に露営した折り、夢に交神天皇及び富属彦命の神託を蒙り、其の加護により戦功を立てることが出来たのに感謝して、延文四年(西暦1072年)社殿を遺り、両祭神を勧請しました。
山頂の古墳は富属彦命の墳堂と伝えられ、これを富塚と称し、戸塚の地名発生となったと伝承されています。
明治六年には、その由緒を以て、戸塚・泉・栄・瀬谷区内唯 一の郷社(近郷を鎮守する神社)に列せられました。
現在の社殿は、天保十二年、拝殿は昭和九年に氏子等が奉献したものです。
「戸塚」の地名の源と言われる「富塚」の石碑
富塚八幡宮境内
松尾芭蕉の句碑
江戸っ子に珍重された初鰹は、当時鎌倉に水揚げされて戸塚を通り、江戸へ運ばれました。
その情景を詠った松尾芭蕉の句碑が嘉永二年(西暦1849年)戸塚の俳人たちによって建てられています。